JLPT N1MODE BACA
JLPT N1 - 2023年7月
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SESI 18 SOAL
内容理解(中文) (Pemahaman Teks Sedang)
次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
WACANA / STIMULUS SOAL
『常識を疑ってみる』ということ、実はそれが学問の始まりでもあります。勉強が『強いて勉める』という受動的な側面を持つものであるならば、学問は『問うて学ぶ』ことであり、極めて能動的な行為です。自ら主体的な行為として問うことを通して、常識とされてきたものの見方を疑い、それを少しずらすなどして、別の見方を見出そうとしていきます。学問の『正解』はひとつとは限りません。学ぶこととは、単純に知識を増やすということではなく、ましてやテストで覚えたことを吐き出すことでもなく、それを自分のものとして再編成していくことであり、さらに言えば自分の物差しが変わり、自分自身が変わっていくことなのです。そして、思いがけない大発見や、独創的なアイデアが生まれるかもしれません。
『疑う』という言葉は、通常は否定的な意味で使われます。『人を疑う』と言えば、普通はその人を信用しないというのと同義なわけです。私も、人を疑って生きるよりも、できるだけ人を信じて生きていたいと思っています。しかし、世の中で当たり前とされている事柄を『疑う』ことが必要な時もあります。『常識だから』という一言で目を閉ざし、それに安易に取り込まれてしまうことなく、そこを少しずらしたところに面白いことを見出していくために。それは、何事も信用しないというような厭世的な生き方につながるのではなく、むしろ創造的で豊かな世界を紡ぎだしていくための、積極的な営みなのです。
1
筆者によると、学問とはどのような行為か。
1.
『正解』を求めて、自ら主体的に問い続けていく行為だ。
2.
独創的なアイデアを得るために、自らのものの見方を変える行為だ。
3.
自ら問いながら、ものの見方を模索し自分自身が変わっていく行為だ。
KUNCI4.
新しい知識を積極的に取り入れることで、自分自身を変えていく行為だ。
2
学問で『疑う』ことについて、筆者の考えに合うのはどれか。
1.
何を信じればいいのかを理解するのに欠かせない行為だ。
2.
豊かに生きるために、新しい常識を作り出す積極的な行為だ。
3.
常識に安易に取り込まれないために必要だが、否定的な行為だ。
4.
常識に縛られずに、これまでと異なる考え方を生み出す行為だ。
KUNCIWACANA / STIMULUS SOAL
春に美しい花を咲かせるカタクリは、アリに種まきをさせるという驚くべき戦略を持っている。カタクリの種が熟すのは花が咲いてから、およそ2か月後だ。はじけて地面に落ちた種は、すぐにアリがやってきて巣に運んでいってしまう。薄茶色の種の先に白い部分がある。これが脂肪分に富んだエライオゾームと呼ばれるものだ。アリはこの部分に引かれることが分かっている。エライオゾームはアリにとってそれほど魅力的な物質であるらしい。
運ばれた種はアリの巣に貯蔵されることになるが、アリは二日もすると、せっかく運び込んだ種を巣から運び出してしまう。種は巣の中深いところに持ち込まれても発芽できないから、これはカタクリにとって好都合だ。どうしてアリがせっかく集めた種を捨ててしまうのだろうか。実は熟して地上に落ちたばかりのカタクリの種についているエライオゾームは、アリの幼虫が共通して持つにおいに近い物質を持っているのだという。アリは種を食べ物として集めるわけではなく、自分の幼虫と思って巣に持ち帰るらしいというわけだ。ところが種がはじけてから24時間もすると、アリの死んだ幼虫のにおいに変わるのだそうだ。それで今度はアリは種を巣の外に捨てに行くのだというから恐れ入ってしまう。
3
筆者によると、アリはなぜカタクリの種を巣に運ぶのか。
1.
種についている脂肪分がアリの好物だから
2.
種はアリの成長に欠かせない栄養分だから
3.
種がアリの餌になる幼虫に似ているから
4.
種をアリの生きた幼虫だと思うから
KUNCI4
筆者によると、アリはなぜ集めた種を捨てるのか。
1.
種のにおいで、アリの幼虫が死んでしまうから
2.
種からアリの死んだ幼虫のにおいがするから
KUNCI3.
種がアリの死んだ幼虫と同じ色に変わるから
4.
種がはじけて、アリの嫌うにおいを出すから
WACANA / STIMULUS SOAL
子は親の鏡と言われる。こどもを見れば親が分かるということだが、こどもは親のしぐさ、もの言いを実によく見ている。三つにもなればいかにも生意気で反論などをするものだが、『そんな言い方をするもんじゃない』と言ったら負けだ。『あら、あなたの言い方とそっくりよ』と横からチクリと揶揄されるのがオチだから。全くこどもは物真似の名人なのである。アイドル歌手からくまのプーさんの喋り方まで、見境なく貪欲にコピーしてしまう。コピーすることによってこどもたちはすべてを獲得してゆく。こどもたちは個性的であろうなどと少しも考えない。みんなと同じようにできることが嬉しくてたまらないのだ。
だが、こどもの再現のありさまを少し注意深く観察していると、この性能の良い複写機の、本当の性能の良さが見えてくる。大人たちの考えるコピーとはいささか違うのである。こどもたちの身体的能力、言語的能力が未熟なのでオリジナルなものの完璧なコピーができない。従ってこどもはオリジナルなものを自由に変改する。切り捨て、誇張する。それはオリジナルなものからの絶妙な逸脱なのである。この模倣行為は、むしろ、一人のこどもの生きる全体のなかで、今全く新しく意味付けられた別のオリジナルなものが生成していると言ってもいいものなのだ。
こどもが模倣をしながらも、とりわけ個性的であるのは、このような模倣モデルからの自由な逸脱があるからだ。私たちがこどもをみて楽しむのも、その逸脱のほほえましさなのではないか。
5
『そんな言い方をするもんじゃない』と言ったら負けだ、とあるが、なぜか。
1.
こどもの成長を否定しているようなものだから
2.
こどもの反論が正しいと認めるようなものだから
3.
自分で自分を注意しているようなものだから
KUNCI4.
自分がこどもと同じレベルで答えるようなものだから
6
こどもの模倣について、筆者はどのように考えているか。
1.
完璧にはコピーできないことが、個性につながっている。
KUNCI2.
完璧にコピーしようとしているが、本質は捉えられていない。
3.
オリジナルなものを自由に変えて、おとなを楽しませようとしている。
4.
オリジナルからの逸脱を気にせず、自分の個性を表現しようとしている。
WACANA / STIMULUS SOAL
人々の肉体には、実は大きな幅がある。生まれ持った個性があり、成長の段階で著しく変化する。こうした人間が使用するものを作る際の方向性には、二つの選択肢がある。一つは、異なる体格や身体能力を持つ多数の人々が同じものや環境を平等に使えるようにする方法。もう一つは、それぞれの体格や能力に合わせて、いくつかのサイズや機能を用意する方法である。前者は経済的に有利な試みだが、その効果に限界があるケースが多い。後者は多様なユーザーに対応できるが、開発に時間がかかり、しかも作られたもののコストが上昇してしまうという問題性を孕んでいる。
ユニバーサルデザイン(UD)では、使い手の様々な問題負担を抑えつつ、個人に不平等感を抱かせないデザインやものづくりが求められている。デザインに平等という意識を上手に反映させていくために、多様な使い手とできるだけ接触し対話を行い、使い手に対する知識と体験を広げることが効果的だ。私たちは平等という感覚をどのような時に感じ、考えるのかという点を、見つめ直したい。
私たちが平等かどうかを意識するのは、確かな不平等の予感や印象を持つときであることは間違いない。平等がきちんと保証されている場合、その状況は私たちにとって自然なことであり、問題意識が芽生えることはない。しかしデザインやものづくりに当たっては、問題が発生してから平等について考えるのではなく、ものやサービスに常に必要な普通の意識であるととらえたい。
7
人間が使用するものを作る際の問題点について、筆者が述べていることはどれか。
1.
同じもので多様な使い手に対応すると、そのものの効果に限界が生じる。
KUNCI2.
同じものを多様な使い手に対応させるには、開発に時間がかかりすぎる。
3.
個別の使い手に対応すると、そのものの効果が見えにくくなる。
4.
個別の使い手に対応すると、平等にものが使えなくなる。
8
ユニバーサルデザインにおけるデザインやものづくりについて、筆者が最も言いたいことは何か。
1.
多様な使い手が、平等だという感覚が持てるものを作り出すべきだ。
2.
使い手が不平等だと感じたら、原因を究明しなければならない。
3.
すべての使い手にとって平等であるものにすることは難しい。
4.
常に使い手にとっての平等について考えなければならない。
KUNCI