JLPT N1MODE BACA
JLPT N1 - 2021年7月
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SESI 19 SOAL
内容理解(中文) (Pemahaman Teks Sedang)
次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
WACANA / STIMULUS SOAL
蝶の雄は、雌の翅の色を目じるしにして、配偶者たる相手を探す。モンシロチョウの雌の翅の裏の、黄色と紫外線のまざった色――この色を指示する特定の単語をわれわれ人間はもっていない――は、モンシロチョウの雄にとっては、モンシロチョウの雌であることの記号である。(中略)
さて、この記号は光による記号である。光は直進するから、目によってそれを見た雄は、それにむかって直進すれば、雌のところにゆきつける。匂いのようにそこらじゅうに拡散するものを記号に使う場合より、よほど①かんたんである。
けれど、それなりに不便なこともある。光が直進するからには、その光の進路を、1枚の葉がさえぎっても、もう雌の記号は見えなくなってしまう。ということは、雌の存在を見出すことはできないということだ。
これに対処するにはどうしたらよいか?ひらひらと舞いながら、すこし上から見たり、ななめから見たりすることだ。
もし蝶が蜂のようにプーンとまっすぐ飛んだとしたら、②雌をみつけだすチャンスはぐっと減ってしまうにちがいない。
それと同時に、翅が雌の記号である蝶にとっては、翅は大きいほうが好ましい。そのため彼らは、「二つ折りのラブレター」となって、航空力学的にもひらひら飛ぶほかはなくなった。けれど③それは、ひらひら飛ばねば雌が発見できないという要請と、まったく矛盾していなかったのである。
1
①かんたんであるのはなぜか。
1.
雌の翅の色は光であり直進するから。
KUNCI2.
雌の翅の色は光によって明るくなるから。
3.
雌の翅の色は匂いと同じように拡散するから。
4.
雌の翅の色は匂いや光とちがって変化しないから。
2
②雌をみつけだすチャンスはぐっと減ってしまうとあるが、なぜか。
1.
翅の色は上から見ないと見えないから。
2.
雌の記号は速く飛ぶと認識できないから。
3.
光の進路がさえぎられることがあるから。
KUNCI4.
速度が速くなり、視点を固定することが難しいから。
3
③それとは何か。
1.
雌の翅が雄より目立つこと
2.
雌の翅は表より裏が見やすいこと
3.
雌が翅を記号として利用していること
4.
雌は翅が大きくひらひら飛ぶしかないこと
KUNCIWACANA / STIMULUS SOAL
私には、「わからない」と思うことがいくらでもある。そういうことを一つ一つつぶして行くのが人生だと思っているから、やることはいくらでもある。つまりは、人生とは「わからないの迷路」である。だから、そのさまざまに存在する「わからない」を、まず整理しなければならない。「木を見て森を見ず」とは言うが、「わからないの迷路」に圧倒されているだけの人間は、その逆の、①「森を見て木を見ず」なのである。
巨大なる「わからないの森」は、その実、「わかりうる一本の木」の集大成なのである。だからとりあえず、「わかりうるもの」を探す。手をつけるべきは、「こんなくだらないものの答えが全体像の解明につながるはずはない」と思えるようなところである。
「くだらない」――だから「どうでもいい」と思って放り投げてしまうのは、それを「わかりきっている」と思うからである。つまりそれは、「わかる」のである。「わかる」は「わからない」を解明するためのヒントである。つまりは、(②)ということである。
とりあえず「わかる」――どうでもいいようなことでも、とりあえず「わかる」と思えるようなことを確保する。それであなたは、「わかっている」のである。なにかが「わかる」になれば、「“わかる”とはどのようなことか」という理解が訪れる。それがつまりは、「方向の発見」である。
4
①「森を見て木を見ず」とはどういう意味か。
1.
「わからないこと」の多さに驚いてどうすればよいか困ること。
KUNCI2.
「わかること」だけに気を取られて他に目が行かないこと。
3.
人生にどれだけ「わからないこと」があるのか気にしないこと。
4.
人生の中でやらなければならないことにのみ注目すること。
5
(②)に入るのはどれか。
1.
本当に「わかる」ためには、「わかる」ように見えることから「くだらない」ものを選び出す必要がある。
2.
私達は「わかりきっている」と思って放り出してしまうが、よく見ると実は本当に「わかっている」とは言えない。
3.
「どうでもいい」と思ったことをすっきり捨て去ってしまうことが、「わかる」ことを解明するヒントとなる。
4.
「くだらない」とか「どうでもいい」と思われるものには、「わかる」へ至るためのヒントが隠されている。
KUNCI6
「わからない」と「わかる」について、筆者が述べていることはどんなことか。
1.
「わからない」ように見えることは、実は小さな「わかりうる」ことの集まりである。
KUNCI2.
「わからない」こともとりあえず放っておけば、後で見直して「わかる」ようになる。
3.
「わからない」ことと「わかる」ことの間には越えられない壁のようなものが存在している。
4.
「わかりきっている」とか「くだらない」と思っても、実は「わかっていない」のである。
WACANA / STIMULUS SOAL
書を読むという行為が、人間の成長や知的能力の向上に必須のものであることを、かつての社会は経験法則的に理解していたのではないだろうか。素読(注1)などは強制的、修養(注2)的なものではあるが、読書習慣の形成を何よりも重視する教育メソッド(注3)であったことは確かである。しかし、①私たちの世代はどうであろうか。書物というものが映像や音響メディアなどと単純に比較することを許さない必需品であり、読書は基本的な能力であるという確信をいだいてきたものの、近年の社会経済のあり方によって自信を失いかけていたことは否めないのではなかろうか。
活字以外の表現手段が大きな影響力を持つようになったことを②「時代の流れ」と呼ぶのはいいが、文化の変容があまりにも急激なこと、あるいは一つの有力な文化が別のものに置き換えられることには予測しがたい弊害を伴う。活字にもいろいろあるが、書物に特有の楽しみを与えてくれる本、思索の喜びをもたらしてくれる本、人生の支えになるような本が相対的に少なくなったのは、1980年代の半ばごろからで、書店の棚には情報的な本や、映像文化の書籍化をねらった寿命の短いものばかりが目立つようになった。家庭からはスペースの狭さを言い訳に、本棚が姿を消してしまった。
ちょうどその頃から映像文化や活字文化の本質を考えるメディア論が盛んになったが、今から思えば従来の活字文化が衰弱した場合にどうなるかという洞察力において、いささか欠けるところがなかっただろうか。
(注1)素読(そどく):ここでは、意味を考えずに、声を出して読むこと
(注2)修養(しゅうよう):学問を修め人格を高めること
(注3)メソッド:方法
7
①私たちの世代とあるが、筆者の世代にとっての読書はどのようなものであったか。
1.
社会生活を営む上で、必須であると信じられていた。
2.
近年の社会経済のあり方には合わないものとされていた。
3.
映像や音響メディアと同列に扱われるようになってきていた。
4.
人間の成長に不可欠だと自信をもって言えなくなってきていた。
KUNCI8
②「時代の流れ」は、書物にどのような変化をもたらしたか。
1.
映像化することを目的として書かれた本が増えた。
2.
情報を提供する本やすぐに読まれなくなる本が増えた。
KUNCI3.
楽しみや喜びが与えられ心の支えになるような本が増えた。
4.
教育的に望ましくない本や悪影響を与えるような本が増えた。
9
1980年代半ば以降のメディア論について、筆者はどのように述べているか。
1.
活字文化を急激に変容させた要因を把握していなかった。
2.
活字文化が衰弱していく時期を予測していなかった。
3.
活字文化の衰退後の状況を見通していなかった。
KUNCI4.
活字文化と映像文化の本質を明らかにしていなかった。